大阪府羽曳野市の西向寺は420年以上の歴史を誇る浄土真宗本願寺派の寺院です。
ホーム
寺院紹介
仏事各種
年間行事
納骨堂
仏前結婚式
住職ブログ
よくある質問
お問い合わせ
よくある質問
各質問をクリックで回答が表示されます。
Q
お寺さんにお渡しするお包みは何と書けば良いでしょうか?
A
お寺さんにお渡しする場合は「御布施」で良いです。
これは仏教の行、「布施」のことを表しています。自分の持ち物を惜しみなく他人に与え、ともに助け合い、喜びあうことをいいます。
この「布施」の行のうち、法を説く「法施」、財物を施す「財施」、畏怖の念を抱かせない「無畏施」がありますが、この場合、「財施」にあたります。
またこの施しは僧侶への「報酬」ではなく、教えの本となるお寺の阿弥陀如来様に「お供え」するものですから、よく間違う言葉で「御礼」、「読経料」などと書かれる場合がありますが、先程の意味からしてもふさわしくありません。
Q
葬儀の時に所属寺の住職から法外なお布施を要求されたときはどうすれば良いですか?
A
本来、お布施はいくらと決まっているものではないので、正直なところ法外なお布施というのも判断が難しいところがあります。
そもそもお葬儀とは人生の終焉をお送りする儀式ですから、その大切な儀式のお布施は出し惜しみをしたり、かと言って無理をしてもいけません。物品のように安ければ良いという話ではもちろんありません。
一般的に法名授与も含んで30~40万円くらいまでは、「法外」とまでは言えないのではないでしょうか。 事情があり、わずかなお布施しか出せないという場合には、その旨を正直にご住職にお話しください。
心あるご住職なら、「出来る範囲で結構ですよ」とおっしゃるはずです。もしそうでなければ、その人は仏教者とは言い難いです。離檀することも選択肢の一つかもしれません。
残念ながら一部には高い法名料やお布施を要求する僧侶もいるようです。少数のそうした非常識な僧侶がいると、「僧侶はみんな」と思われる方も当然出てきてしまうでしょう。ですが、僧侶は社会的に特に高いモラルを要求される立場です。 多くの住職・僧侶はまじめに道を求め、お寺を守っています。
どうか不安に思わず、まずはご相談なさってみてください。
Q
法名(戒名)って何ですか?
A
浄土真宗では「戒名」(かいみょう)とはいいません。「法名」(ほうみょう)といいます。
法名は死んでからもらうものだと思っている人が多くおられます。 亡くなった方の家に行き臨終勤行(一般的に枕経といわれる)を終えた後に「法名をいただいておられますか」と聞けば「今日、死んだのに法名があるわけないでしょ」という返事が返って来ることがありますが、本来法名はご本山(西本願寺)で行われている帰敬式(ききょうしき・・・一般的には「おかみそり」といわれている)を受けご門主からいただくものです。
法名は「南無阿弥陀仏」の六字名号(ろくじみょうごう)をよりどころとして生き抜く人の名前です。聞法(もんぽう)によってお念仏の法(ほう)にあわせていただくということから法名というのです。法名には釈(しゃく)という一字が必ずついています。これは、釈迦諸仏の弟子といわれ、仏様からほめていただく身となるという意味です。
また、法名はどんな方でも二文字で表します。ですから、釈 ○○という事になります。つまり、浄土真宗の門徒としての自覚をもって生きるということであり、現在は亡くなられてから付けられる方が多いのが実情ですが、本来は生きている間につけるものなのです。
Q
なぜお経を読むのですか?
A
読経を「死者のためにあげてもらっている」と思われている方がもしいらっしゃれば、それはとんでもない仏教の誤解です。「死者のために読経する」のは迷信だと、その誤りを教えて下されたのは、仏教を説かれたお釈迦様なのです。
なぜ迷信といわれるのでしょうか。それは、お経がどのようにして成立したかを知れば明らかです。
お経とは、お釈迦様が、苦しみ悩む生きた人間を幸福にするために説かれた教えを、弟子たちが後世の人に書き残したものなのです。ですので、死人になされた説法は一つもありません。
厳粛な仏事を縁に、無常を感じて聞法することは、有り難い勝縁となりましょう。
Q
浄土真宗では位牌は使わないのですか?
A
はい、基本的に位牌は用いないのが私たち浄土真宗(本願寺派)のお仏壇のお荘厳です。過去帳を用います。位牌は元々、中国の儒教の習慣から来ています。それが仏教でも使われるようになり、大事にされる宗派もあります。
私たちは今生のいのちが終わったらどこに往くのでしょう。位牌に魂が宿るのでしょうか。仏壇に籠もるのでしょうか。お墓に籠もるのでしょうか。いいえ、お念仏申す者は浄土に生まれ仏になります。阿弥陀さまのお救いによって浄土に生まれさせいただきます。そして常に還ってきて私たちを導いてくださいます。ご本尊、阿弥陀さまと同じさとりをひらかせていただくのです。ご本尊さまに手を合わすとき、亡き方のおはたらきの中にお導きいただいたと気づかせていただきます。
位牌があるとどうしてもそちらを拝んでしまいがちになります。私たちは亡き方を偲ぶものとして過去帳を用います。過去帳には亡き方のご法名を記します。ご法名は仏弟子、真宗門徒として生きた名乗りです。釋○○という亡き方の名を通してお念仏申しておられた姿、仏さまの教えを日々の仕事、生活に活かしておられた姿を偲ぶのです。その中で私自身のいのち、人生を見つめ、阿弥陀さまの願いを聞いてゆくのが仏事です。
Q
浄土真宗を信仰することでご利益がありますか?
A
ご利益をうたう宗教をよく考えてみれば、身勝手な自分さえよければ、といった自らの自己的な欲望を叶えると言っても過言ではありません。
浄土真宗では、「病気が治る」、「家内安全」、「合格祈願」、「交通安全」などをうたったご利益は一切ございません。
ですが、そのような自己的な気持ちに惑わされない生き方が出来るという「ご利益」があります。
Q
浄土真宗では法事(法要)の日にちを遅らせてはいけませんか?
A
一般に「法事は遅らせてはいけない」というのは、うっかりしてご法事を忘れるようなことがあってはならない、早めに考えるようにという戒めとして、昔の方々がおっしゃったことです。
遅らせたからといって何か災いがあるとかいうことではありません。ご法事は“亡き人を偲びつつ、あとに残る縁ある人たちがお経をいただき、仏さまの教えとお心をいただく”ということです。できればご命日にしていただきたいのですが、なるべく集まりやすい日に設定することもご縁を作る意味では大事でしょう。ご法事の大切な意味をお分かりであれば、若干早めても、遅らせてもかまいません。 なるべく祥月命日を中心にして、ご縁の方々が集まりやすい日を選びましょう。
仏さまのみ教えを聞くことを一番に、ご予定を立てましょう。
Q
浄土真宗では仏前に生ける花はなぜ私たちの方に向けるのですか?
A
お花は、私たちの方に向けます。私がお供えしたお花そのままが、お浄土の有り様を説いてくださるのです。
お浄土には「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」と、どんな色の花もそれぞれに輝いていると説かれます。あなたのいのちもどんな時もどんな色でも輝いているよと教えてくれます。またやがて花は枯れます。しおれ枯れゆく花を通して、我がいのちの無常を見つめてゆきます。ですから仏前には造花ではなく生花を生けましょう。生けたお花そのままが私たちへのご説法なのです。
Q
ご法事を忘れていたのですがどうしたら良いでしょうか?
A
「○○回忌を忘れていたのですが」と心配そうなおこころでのお電話をいただくことがあります。ご先祖が立腹されて祟るとか、罰を当てるというようなことは一切ありません。
忘れていたからといって怒るような心の狭い仏さまは、仏さまではありません。忘れておられたことを、思い出されたのですから、きちっとご法事をすればいいのです。
私たち浄土真宗のご法事は、亡き方を供養して差し上げたり、祟らぬように先祖を慰めるのではありません。
ご法事はすでに仏さまになっておられる亡き方を偲びつつ、仏さまの教え(法)を私たちが聞かせていただく仏事です。 ご法事は、「阿弥陀さまにであってねという亡き方の御催促」と表現された方がありました。
いろいろなことで不安や心配のある私たちに、「心配ないよ、お念仏申してお浄土への歩みをしてくれよ」という阿弥陀さまの願いを聞くご縁です。
Q
四十九日の法事が三ヶ月に渡ってはいけないのですか?
A
三ヶ月にわたっても大丈夫です。なるべく四十九日に近い日を選びましょう。
「四十九日が三月」→「始終、苦が身に付く」という単なる語呂合わせから、三ヶ月にわたってはいけないという迷信が生まれたようです。しかし、月の後半に亡くなられれば、必ず3ヶ月にまたがります。
四十九日は、もともと、お釈迦さまがさとりを開かれて、49日の間一週間ごとに場所を移られ、おさとりの内容を反復され、その縁の深さを確かめられたことに由来します。
Q
お念珠が切れたのですが何か災難が起きませんか?
A
念珠の紐が切れることと、災いは全く関係ありません。切れたということはあなたがよくお参りされた証拠です。
お念珠は使えば使うほど紐が玉の角で擦れて切れやすくなります。
住職のお念珠は何度も切れています。切れたら仏壇屋さんなどで修理してもらってください。その時、紐の色を変えたりするのも気分が変わっていいですね。