ふだん、「死は怖くない。むしろ美しい」と思っていても、実際、死に臨めば、演技する余裕も意地もありません。
今まで頼りにしてきた金や財産、名誉や地位、家族、恋人、友人、そして、最も大切にしてきたこの肉体とさえも、別れねばなりません。
蓮如上人は次のようにおっしゃっています。
「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」
(御文章)
いよいよ死なねばならぬとなったら、どうでしょう。
「予てたのみおきつる妻子も財宝も」とは、「今まで頼りにし、あて力にしてきたすべてのもの」ということです。
私たちは何かを頼りにし、あて力にしなければ、生きてはいけません。夫は妻を、妻は夫をあて力にし、親は子供を、子供は親を頼りにしています。恋人や友人を心の支えにしている人もあります。
また、「これだけ預金があるから大丈夫」「不動産があるから安心だ」と、金や財産をあて力にしています。昇進した、教授だ、閣僚だ、難しい試験に合格したと、地位や名誉を力にしている人もあるでしょう。
これら一切、私たちがあて力にして生きているものすべては、死に直面した時、
「わが身には一つも相添うことあるべからず」。
積み上げた学問も思想も哲学も何一つ、明かりにはなりません。死の巌頭に立たされたときには、ニーチェもキルケゴールも、一切役に立たない。何もかもが力にならぬことに、初めてガク然とするのです。
「されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」
“人間は最後、たった一人で真っ暗な後生へと旅立っていくのだよ”
咲き誇った花も必ず散る時が来る。すべての光を失って、暗い後生へと入っていかなければなりません。
ところが、そんな自覚もなく、のほほんと日々、生きている人ばかりです。
すべての人にとって、これ以上の大事はありませんから、これを「生死の一大事」とも、「後生の一大事」ともいわれます。
浄土真宗本願寺派
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13代目 西林 広順(にしばやし こうじゅん)
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