「散る桜 残る桜も 散る桜」
と古人は詠いました。
満開の桜も、風に吹かれて、ひらひらと、やがて散っていきます。先に散るか、後に散るか、最後は一枚残らず散ってしまうのです。
同じように私たちも、一人、また一人と、この世を去っていきます。他人の葬式に参列して見送る人も、自分の葬儀で他人に見送られる日が必ず来ます。
死は、100%確実な未来であり、無関係でいられる人は一人としてありません。
しかも、死はいつやってくるか分かりません。
だれもが「いずれ死ぬ」と知っていますが、「今日が死ぬ日」と思う人は一人もないでしょう。
有名な『徒然草』に、吉田兼好は次のように述べています。
「死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る」
“死に順序などない。それは前からだけ来るのではなく、いつの間にか背後に迫っている。100%死ぬのを知りながら人は、今死ぬ、の差し迫った思いを持たぬまま、思いがけず死んでいくものなのだ”
平成23年3月11日の東日本大震災の前日、いったい誰が次の日の自分の死を予告できたでしょう。
当日の朝、死を覚悟して洗面し、朝食を取った人があったでしょうか。
私たちが死のことなど考えもしないで、今日の予定や、週末の計画を考えながら、家を出掛けていくのと同じです。
お釈迦様は、
「出息入息 不待命終」(出る息は入る息を待たず、命終わる)
と説かれています。
吸った息が吐き出せなければ、吐いた息が吸えなければ、その時から後生です。
後生とは死後のこと。死後と聞くと何十年も先のことのように思いますが、吸う息吐く息と触れ合っているのが後生なのです。
“老後”という未来は次第に訪れます。しかし死は、突如としてやってくるのです。そして、すべてを奪い去る無法者のようなものです。
浄土真宗本願寺派
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13代目 西林 広順(にしばやし こうじゅん)
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